「毎日の意味」についての悩みと観点変更

最近、自分の仕事をする意味に悩んでいます。
辞めようかと悩んでいたのですが、踏みとどまりました。
以下、自分の精神状態の遷移を記述します。

エンジニアとして成長の機会が少ないのではないかという思い、
東京に戻れば給与がずっと多くなるのに香川にいる意味、
そういった内容が毎日を無駄かもしれないと思わせるのです。

ただ、そう思っているだけでは本当に無駄になってしまうこと
受動的ではなく能動的に動いてこそ、意味のある人生になるということはわかっています。

ただ、心理的に何かが足りなかったのです。

この状況から脱却すべく色々調べていたところ
以下の言葉を知りました。

「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」
これに対して人は如何に答えるべきであろうか。
ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。
すなわち人生から何を我々はまだ期待できるかが問題なのではなくて、
むしろ人生が何を我々から期待しているかが問題なのである。
そのことを我々は学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければいけないのである。

これは「夜と霧」という本の一部です。
この言葉がすさまじく刺さりました。
「むしろ人生が何を我々から期待しているかが問題なのである。」

僕はこの文から自分が生きて為すべきことを
生命という大きな何かから期待されているのだと解釈しました。
そう考えるとなぜか泣きたくなったり・・・

そこから
自分が為したいこと(自分が作りたい世界)は何かを考え、
そこに今の仕事がドンピシャではないが、擦るくらいの要素はあることはわかりました。

そして、ドンピシャの内容が見つかる
もしくは、その活動をメインとしたい時には今の仕事を辞めるとして
少なくとも今は今の仕事を続けることにしました。

またリルケの「若い詩人への手紙」で
詩人になろうかと悩んでいる人がリルケに対して
私は詩人になるべきだろうかと聞いた際、
あなたの夜の最も静かな時間に、自分は書かずにはいられないのか、とご自分にお尋ねなさい
と返ってきたという内容があります。

誰かの評価なんぞ気にせず
自分の生き方を他人からの見られ方で決めるんじゃないということですね。
これもまた、自分の決定を後押ししてくれました。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。